ヨガの目的に気付いたら食へのこだわりがなくなりました

普通に暮らせることはいかに素晴らしいかって思うんです。
何でも食べられて、誰とでもいっしょに食事が取れて。
同じ皿のものを分けて食べるって幸せなこと。
あれはダメ、これはダメって考え方はよくないと思います。
人間がとがってしまいますよね。

こんなに柔軟な考え方に至るまでにはさまざまな葛藤があったり、パニック障害や摂食障害を経験したこともあった。
だからこそ自分の変化や食に関心を持っていたのだ。

いくつかのヨガを経験し、ウジャイ呼吸(胸式)をするヨガを行うようになったある日突然、体がお肉を受け付けなくなった。
そのことが気になって、お肉や食育に関する本をたくさん読み、最終的に選んだのは玄米菜食。

玄米菜食とプチ断食のワークショップを開いたこともありました。
食を極めていくことが、ヨガ上達の道と感じていたんです・・・
ベジタリアンやヴィーガンになったことも。

いろいろやって、私のヨガの目的はそこにないなって気付きました。
毎日を健やかに過ごしたい、全身の気のバランスを整えたい。
どんな時でも心にゆとりが欲しい。
そんな風に目的がはっきりしたら、何かを制限したりしなくてもいいやって思ったんです。

あくまでも普通に暮らし、その時あるものをいただくこと。
そして自分の体の声を聞くこと。
ナチュラルな笑顔は、ヨガと食の旅の上に手に入れたものなのだろう。

愛の気持ちを持って大切に食べること

「食べ物は母なる大自然からの官能的な贈り物。
医食同源、そして、自然に生きるという私自身のテーマに寄り添うように、愛を込めて体が喜ぶ食べ方をすることを大切にしているの」

とヨガの先生は言う。

この食事への愛は、個性的な調理スタイルにも表れている。
一つ一つの食材に気持ちを込め、話しかけたりハートのシールを張り付けたりしながら、楽しく大切に料理をするのだ。

ヨガの先生が参考にしているものに、水の波動研究家である江本氏の実験がある。
米を入れた三つの水に対してそれぞれ肯定・否定・無視という行動をして、変化を見るというものだ。

否定された米は腐り、無視された米はさらにひどく腐敗するが、肯定された米は発酵して芳香を漂わせていく。

「米も水も、人間も同じ。その存在をしっかりと見つめて愛情を注げば、生きることも食べることも充実するはずだから」

とってもキュートでエネルギッシュな先生だが、過去には喘息やアレルギー、血行不良などに悩まされたり、食事法への迷いから体を壊した時期も。
そんな苦悩を乗り越え、自分の体を使って少しずつ実験しながら最適な食事を見つけた。

そして、自然の中でヨガをしたり教えたりするというライフワークを得て、今に至る。
食とヨガに対して大きな愛を表現することで、彼女にとってのナチュラルなライフスタイルが完成したのだ。

環境に合わせて柔軟にアレンジする

6年前にネパールから来日したヨガの先生は奥さんと1年前に来日した16年来の友人(ヨガの先生)とともに共同生活をしている。
ヨガとアーユルヴェーダの指導に努め、日々を忙しく過ごす2人の先生。
言葉も生活環境も違う日本で多忙に過ごしながらも、ネパールの文化をうまく持ち込み、のびのびと過ごす先生たちはとても穏やかで優しい雰囲気を持っている。
特に3人の食事の風景は、とてもピースフル。

「生まれた時からアーユルヴェーダの食生活をしてきたんです。だからそれを、日本でも変わらず続けているんですよ」

しかし、先生たちの生活の中には、日本の食意識と違う点も多々ある。
例えば、ネパールでは家族以外が作った料理を食べない。
今では先生たちも外食をするようになったが、親族が来日した時には、外での食事を拒んでしまったこともあるのだとか。
その人が作ったものを食べるということは、信頼しているという証拠。

また、作り置きをしないというのも一つの特徴。
保存食を作ってストックする日本人と違って、朝炊いたご飯を夕方まで置くことさえもNGだ。
水や食べ物を持ち歩くこともなく、その時に必要な分だけを随時確保する。
もちろん、家で食事をする時も、毎回手間をかけて調理している。

「日本の野菜はネパールのものと比べて味が薄いし、手に入らない食材もあるから、祖国の食事をそのまま再現することはできないんです。でも、食べるうえで大切なのは栄養と消化。この二つを念頭に置いて、食材選びから調理方法、食べ方に至るまで気を配るようにしています。あとは、日本の環境に合わせて柔軟にアレンジすること。そうすれば異国にいても健康的な生活ができるんです」

リラックスした口調で優しく話してくれて先生たちの食スタイル。
私たちの学ぶポイントはたくさんあった。

食事もヨガも自由に柔軟に楽しむ

アディヨガを教える先生のバッグの中には、自分の体を知ったからこそ見つけられた、こだわりのアイテムがたくさん入っている。
ポーチに入れていつも持ち歩いているのは、試験管のような容器に入った薬草粉二種。

一つは、強い抗酸化作用や解毒効果があるトリファラ。
そして、リコリスやアシュワガンダ、ピパリなどを使ったオリジナルブレンド。

これらの必須アイテムは、ドーシャを正常化するのに効果的。
タイミングを見つけては、外出先のカフェでミルクや湯に溶かして飲む。
アーユルヴェーダの知恵を現代に生かしたアレンジは、外出が多く食事のコントロールが難しい先生ならでは。

「食事って、例えば服を選ぶのと同じように自分でセレクトできるものなんですよね。何になりたいか、どうなりたいかによって、自身でデザインできる楽しみがあるものだと思うんです。その積み重ねで、楽しくもなるしつまらなくもなる。健康にもなるし、病気にもなるんです」

そう語る先生には、食べることを重視するからこそ、試行錯誤を繰り返してきた過去がある。
焼き肉やダイエットコーラ、タバコなどを多く取っていた学生時代には、摂食障害や精神的な病気も経験した。
「なんとか元気になりたい!」と一念発起して、玄米菜食やヨガを始めた。

カリフォルニアのベジタリアン文化を大いに満喫した時期もあったし、日本の外食では食べられるものがないほど菜食にこだわった時期もあった。
それからアーユルヴェーダを学び、自由度の高いライフスタイルのアドバイスを受け、お肉やお魚など何でも食べるようになり、冷え性や便秘などの症状も改善された。

「食事の主義に乗っ取られるのではなく、自由に柔軟に楽しむ。そのスタンスを持つようになって、食事もヨガも緩く柔かに気持ちよく感じられるようになりました」

カロリーやビタミンなどの栄養素はもちろん大切だが、ヨガを深めるにつれ、そこでは図れないエネルギーに命が動かされていることを感じるという。
命を補うように自由に食べるのが、先生のスタイルだ。

食はアーサナと同等

「飼っていた犬が死んでお葬式を行いました。
お坊さんに読経していただき、みんなで悲しがって。
その1週間後、友人の家族が経営する養鶏場で、人が簡単に生き物の命を奪うことを知り、その矛盾に感じ入ってしまった。
共生とは他の生き物の犠牲の上に成り立っています。
だから、僕は素直に感謝して肉をいただくことにしたのです」

肉を食べると体力がついて、ヨーガの修行の成果がみるみる上がった。

「ヨーガは生命力を高めるもの。
食事や暮らしぶりとヨーガの技術の掛け算でその結果を出す。
食事が合うものになったので、ヨーガのチャクラ的反応が得られたのです」

現在は1週間で食事のバランスを取り、偏食をしない。
20年以上こだわっているのが水。
断食を何度も行っていた時、水の本当の美味しさを知り、以来、こだわるようになった。

ここ10年ほどは、桜島の温泉水を1日に3リットル以上飲んでいる。
酸化還元電位マイナス200mv程度、クラスター約55-56Hz、アルカリ性、そして美味しいのがその理由。
採水からボトリングまで確認しに、日帰りで桜島まで行ったという。
しかも料理用には別の水を選ぶ徹底ぶり。

「ヨーガとは生きること。
コントロールすることです。
人体と人体の置かれている環境をひっくるめて科学するもので、食はその環境の一つ。
アーサナも食も体質に合うかどうか分析して決めるべきだと僕は思います。
食はアーサナと同等なのです」

ヨーガとはコントロールすること

「クンダリーニヨーガの修業時代、ガリガリになった時期があるんです。
周囲から病気かと心配されるほど。しかし僕は真剣にヨーガをやっている。
何がおかしいのか思案した結果、原因は食事でした。
当時、玄米菜食でしたが、玄米が僕には合わなかった。
そこで、玄米を白米に替えると元気になり、体重も戻りました」

玄米は合わないとした根拠は、中国医学の考え方に基づく。
中国医学では体質を、熱、水、力などについて代謝の偏りから分析。
熱や体内の力の現存量は必要量より多いか少ないか?
体内水分の保存能力はどの程度かなど、さまざまな角度から100通り以上の組み合わせで、故人の体質を精密に分析する。
それを基に食生活を見直した結果、自分の体質に玄米が合わないと判断した。

「同居していた人には玄米が合っていたのでしょう。
しかし、僕とあと二人の仲間は白米の方が合った。
では肉は?と考える。
知りたいことはとことん追求するので、肉についても調べ始めました。
そうすると肉には宗教的な考え方が大きく影響していると分かりました。
とはいえ、さかのぼれば釈迦もキリストも肉を食べていた。
命に貴賤はないですから、植物も動物も微生物も命の重さは同じ。
厳格に行うなら餓死するしかないわけです」

さらに、命にまつわる個人的な経験も加わる。

食はアーサナと同等

ヨガの食事法で大切なのは命を生かすということ

「ヨガの食事法で大切なのは、命を生かすということ。
生き物はすべて、何かを殺して命をいただかなければ生きていけない宿命です。
だからこそ最小限の殺生で、いただいた命を最大限に生きるのです。」

 

食べるということは、他の命を自分の命に代えさせていただくということ。
とても尊い、感謝すべき儀式なのだと言う。
先生が指導を続けているヨガでは、食事前に呼吸を整えて心を落ち着かせ「栄養摂取の誓い」と唱える。

「自分内在智の教えに従って自分に適し自分に必要なものを取り入れ、不要で不適なものは出し切るように努めます」

と誓い、一つ一つの食事をしっかりと丁寧に見つめるのだ。
ゆったりと落ち着いた呼吸を取り戻し、文言を声に出せば、食べ物を迎え入れるコンディションが整っていく。

 

先生の食事風景は、ゆっくりと穏やかな空気が流れていて、一口一口の食べ物への感謝の気持ちがにじみ出ている。
一口分の食べ物を口へと運んだら箸を置き、目を閉じてかみしめる。
そうすることで、流されたり焦ったりすることなく冷静に、口の中に入れた自分に必要な命を体に取り入れていく。

 

「例えば米は、本来ならこれからまさに大地に落ち、芽が出て次の世代へと命をつないでいくべきところを収穫し、いただいているわけです。
長く続いていくはずの命の連鎖を、私たちが食べることで途中で断ち切っている。
その自覚を持って大切にいただくのです。」

 

こうして一つ一つの命を尊重して食べるようになれば、自分の体に本当に必要なもの、そして体の中で起こる変化までも繊細に感じ取れるようになる。
それは、食べている時の味覚や食感だけに気持ちを傾けるのではなく、咀嚼・消化・吸収・中和・排泄の五段階を通して食事なのだという意識を持つこと。

むしろ、取り入れるということよりも、中和や排泄を重視して、体を内側から浄化しようとする。
例えば、こんにゃくを食べる理由は、栄養学的な補給の目的よりも排毒作用を意識してのこと。
調理して口に入れる段階としての食事法はもちろん、排泄や浄化に至るプロセスも大切にしているのだ。

 

一つ一つの食事を丁寧に続けていけば、必要なものはもちろん、不必要なものも見えてくる。

 

「目の中にゴミが入ったら、すぐに違和感を感じますよね。
でもコンタクトをする人は、いつの間にか日常的に目の中に異物を入れても平気になっていく。
異物感さえも慣れると当たり前になってしまうんです。
食べるものも同じ。
今体の中に入れようとしているものが、本当に必要なのかどうか。
口と頭で感じるのではなく、命の感性で食事をすれば分かってくるはずなのです。」

 

ヨガの先生は、食べ物の命、そして自分の命をも最大限に生き抜く感性豊かな食生活を送っていた。

心の在り方が問われる食事法

菜食が基本の食事法で、ポジティブフードと捉えられ、アーサナがしやすく、瞑想にもいいとされている、さらにはマインドにも優しいし、消化にもいい。
いわゆるヨギックフードを食べる食事法。

食材はプラーナ(気)の多い物を選び、マンゴーやカボチャなど国産の有機のものを中心にいただく。
逆にネギ類、ニンニク、ニラ、キノコなどを食べず、刺激があって辛い物や動物性はNG。
ヨガの合宿では、この食事をいただき、体や心の変化を感じる。

 

しかし現在、先生の日常では厳格にこの方法を実践するより、感謝の心や、楽しく食べることに重きをおいている。

先生はこの方法にたどり着くまでに、ヴィーガン(厳格なベジタリアン)やフルタリアンになったり、ローフードの食事法など、数多くの食事法を試してきた。

特に、自身がインドで命に関わる大事故に遭遇した後は、生命に対し敏感になるがゆえに、野菜を切ることもできず、地に落ちたフルーツやナッツだけで過ごす厳格なフルタリアンに。

 

「あの時はこだわりすぎて周りに迷惑をかけてたかも…(笑)。
今ならどんな主義も否定しないし、自分の主義を押し付けたくもないの」

 

先生が今、心がけているのは幸福な心で作ること、いただくこと。

 

「作るものには作った人のエネルギーが入るから、調理の前には瞑想をするの。
穏やかな気持ちで作った食事には、ハッピーが詰まっているのよ。
それから、自分が何を食べているのかきちんと知るべき。
だから私は地元の直売所で野菜を買う。
作っている人に直接ありがとうって言って譲ってもらうの。
そして食べる時には本当に幸せな気持ちでいただく。
これが一番大切。
テレビや新聞を見ながら食べずに、食べ物と会話をしながら、そして一緒に食べる相手と向き合って食べることで、感謝の気持ちを自然と持てるようになるから」

 

幸せな気持ちと感謝、先生の食事のベースは、老若男女、誰にでも可能な食事法。
それはまさしく毎日の心の在り方が問われる食事法だった。

様々な食事法を試す

「今は何もこだわってないんですよ。こだわりがあったりストイックにしてるとカドがある感じだけど、私の今の生活はほのぼのとしています。
ヨガを始める前の学生時代は、お酒やたばこも楽しみましたし、お肉やお魚も食べていました。
その後は時々野菜だけの、フレキシブルベジタリアンになったんです。
ヨガを始めて3年ぐらいたった頃、お肉が欲しくなくなってベジタリアンに。
ヨガを突き詰めて練習の時間を費やすうちに、食事もこだわるようになりました。」

 

その後は、ローフードの食事法を取り入れたり、フルーツのみをいただくフルタリアンも経験。
以前はなんとサプリメントがメインの食生活も…。
ご飯やパンも食べるが、あくまでも栄養はサプリメントで取るというもの。

 

そして現在は…、口に入れる物にはこだわりがなくなり、その代わりプラーナ(気)を主食にいただくプラナタリアンにチェンジ。

自分に合うかな?と思ったものをどんどん取り入れた結果、様々な食事法を試すことにつながったという先生。

 

「生活すべてがヨガの練習だから、その一部として食事の人体実験をしていったって感じですよね。
それを食べることで、ポーズがどう変わるか、意識や感覚をどう感じ取れるか、いつも試していたんです。」

 

人を惹きつける魅力も、そんな先生の真摯な所にあるのだろう。
現在口にするものは、その時いる場所やその日のスケジュールによって変わる。
食べられたら食べる、食べられなければ食べないというスタイル。
基本は昼過ぎから夕方にかけての1日1回の食事。

 

そんな先生に「食事って何ですか?」と聞いてみると、「フィジカル面を保つために必要でしょ。あと、コミュニケーションのツールでもありますよね」と。
プラナタリアンの今は、自然の空気の中においしさを感じ、いつでもどこでも食事(プラーナ)が取れると言う。

「地方に出かけて、その土地の素敵な景色の中で深呼吸をして、いいプラーナを感じれば、それは私にとってリッチな食事。」

プラーナを感じ、自分の中に充満させることが活力になり、生命力に変わっていく。
プラーナをはじめ色々なものを感じ取る、研ぎ澄まされた感覚があってこそ実践される食事法は、ヨガを突き詰めた先生らしい食事法と言えるだろう。

食事でもヨガでもつながりが大切

先生たちの話を聞いていると、自分を取り巻く環境と経験に基づく感覚に合った食のスタイルを実践することが、ナチュラルに暮らすことなのかもしれないと考えさせられる。

 

よりシンプルにという暮らしは、自然のサイクルを守る事にもつながっている。
先生は農業大学時代に、あるフォークシンガーの「自分が今食べているものは、自分のクソからできている」という言葉に衝撃を受け、伊豆の田んぼで米作りをしていた時には、自分の排泄物を肥料にして野菜を育てたこともあった。

現在、排泄物はたい肥にしないが、食事の時に出た生ごみは土に還すことを続けている。

 

「昔からのサイクルを少しでも止めないようにしています。
食べ物に関わらず、今、そのサイクルが欠けているように思います。
作る人と使う人が繋がっていない。
誰の原料で誰が加工し、そしてそれを誰が使っているのか。
その所在を知ることが、物を大切にするポイントになるんじゃないかな。

自分の為にあの人が作ってくれたと分かれば、壊れても修理して使おうとするはず。
今は作り手と使い手の魂が途切れているのでは…。

自分がここにいるのは、大きなつながりの一部であることを生活の中で感じていたいんですよ。

スタジオに来た生徒がヨガをして温かい気持ちになるのも、こういったつながりを心の底で感じるからじゃないかな。
食事でもヨガでも同じ。
もっと人とのつながりを感じていくことが大切だなって思うんです」