食事もヨガも自由に柔軟に楽しむ

アディヨガを教える先生のバッグの中には、自分の体を知ったからこそ見つけられた、こだわりのアイテムがたくさん入っている。
ポーチに入れていつも持ち歩いているのは、試験管のような容器に入った薬草粉二種。

一つは、強い抗酸化作用や解毒効果があるトリファラ。
そして、リコリスやアシュワガンダ、ピパリなどを使ったオリジナルブレンド。

これらの必須アイテムは、ドーシャを正常化するのに効果的。
タイミングを見つけては、外出先のカフェでミルクや湯に溶かして飲む。
アーユルヴェーダの知恵を現代に生かしたアレンジは、外出が多く食事のコントロールが難しい先生ならでは。

「食事って、例えば服を選ぶのと同じように自分でセレクトできるものなんですよね。何になりたいか、どうなりたいかによって、自身でデザインできる楽しみがあるものだと思うんです。その積み重ねで、楽しくもなるしつまらなくもなる。健康にもなるし、病気にもなるんです」

そう語る先生には、食べることを重視するからこそ、試行錯誤を繰り返してきた過去がある。
焼き肉やダイエットコーラ、タバコなどを多く取っていた学生時代には、摂食障害や精神的な病気も経験した。
「なんとか元気になりたい!」と一念発起して、玄米菜食やヨガを始めた。

カリフォルニアのベジタリアン文化を大いに満喫した時期もあったし、日本の外食では食べられるものがないほど菜食にこだわった時期もあった。
それからアーユルヴェーダを学び、自由度の高いライフスタイルのアドバイスを受け、お肉やお魚など何でも食べるようになり、冷え性や便秘などの症状も改善された。

「食事の主義に乗っ取られるのではなく、自由に柔軟に楽しむ。そのスタンスを持つようになって、食事もヨガも緩く柔かに気持ちよく感じられるようになりました」

カロリーやビタミンなどの栄養素はもちろん大切だが、ヨガを深めるにつれ、そこでは図れないエネルギーに命が動かされていることを感じるという。
命を補うように自由に食べるのが、先生のスタイルだ。

食はアーサナと同等

「飼っていた犬が死んでお葬式を行いました。
お坊さんに読経していただき、みんなで悲しがって。
その1週間後、友人の家族が経営する養鶏場で、人が簡単に生き物の命を奪うことを知り、その矛盾に感じ入ってしまった。
共生とは他の生き物の犠牲の上に成り立っています。
だから、僕は素直に感謝して肉をいただくことにしたのです」

肉を食べると体力がついて、ヨーガの修行の成果がみるみる上がった。

「ヨーガは生命力を高めるもの。
食事や暮らしぶりとヨーガの技術の掛け算でその結果を出す。
食事が合うものになったので、ヨーガのチャクラ的反応が得られたのです」

現在は1週間で食事のバランスを取り、偏食をしない。
20年以上こだわっているのが水。
断食を何度も行っていた時、水の本当の美味しさを知り、以来、こだわるようになった。

ここ10年ほどは、桜島の温泉水を1日に3リットル以上飲んでいる。
酸化還元電位マイナス200mv程度、クラスター約55-56Hz、アルカリ性、そして美味しいのがその理由。
採水からボトリングまで確認しに、日帰りで桜島まで行ったという。
しかも料理用には別の水を選ぶ徹底ぶり。

「ヨーガとは生きること。
コントロールすることです。
人体と人体の置かれている環境をひっくるめて科学するもので、食はその環境の一つ。
アーサナも食も体質に合うかどうか分析して決めるべきだと僕は思います。
食はアーサナと同等なのです」

ヨーガとはコントロールすること

「クンダリーニヨーガの修業時代、ガリガリになった時期があるんです。
周囲から病気かと心配されるほど。しかし僕は真剣にヨーガをやっている。
何がおかしいのか思案した結果、原因は食事でした。
当時、玄米菜食でしたが、玄米が僕には合わなかった。
そこで、玄米を白米に替えると元気になり、体重も戻りました」

玄米は合わないとした根拠は、中国医学の考え方に基づく。
中国医学では体質を、熱、水、力などについて代謝の偏りから分析。
熱や体内の力の現存量は必要量より多いか少ないか?
体内水分の保存能力はどの程度かなど、さまざまな角度から100通り以上の組み合わせで、故人の体質を精密に分析する。
それを基に食生活を見直した結果、自分の体質に玄米が合わないと判断した。

「同居していた人には玄米が合っていたのでしょう。
しかし、僕とあと二人の仲間は白米の方が合った。
では肉は?と考える。
知りたいことはとことん追求するので、肉についても調べ始めました。
そうすると肉には宗教的な考え方が大きく影響していると分かりました。
とはいえ、さかのぼれば釈迦もキリストも肉を食べていた。
命に貴賤はないですから、植物も動物も微生物も命の重さは同じ。
厳格に行うなら餓死するしかないわけです」

さらに、命にまつわる個人的な経験も加わる。

食はアーサナと同等

ヨガの食事法で大切なのは命を生かすということ

「ヨガの食事法で大切なのは、命を生かすということ。
生き物はすべて、何かを殺して命をいただかなければ生きていけない宿命です。
だからこそ最小限の殺生で、いただいた命を最大限に生きるのです。」

 

食べるということは、他の命を自分の命に代えさせていただくということ。
とても尊い、感謝すべき儀式なのだと言う。
先生が指導を続けているヨガでは、食事前に呼吸を整えて心を落ち着かせ「栄養摂取の誓い」と唱える。

「自分内在智の教えに従って自分に適し自分に必要なものを取り入れ、不要で不適なものは出し切るように努めます」

と誓い、一つ一つの食事をしっかりと丁寧に見つめるのだ。
ゆったりと落ち着いた呼吸を取り戻し、文言を声に出せば、食べ物を迎え入れるコンディションが整っていく。

 

先生の食事風景は、ゆっくりと穏やかな空気が流れていて、一口一口の食べ物への感謝の気持ちがにじみ出ている。
一口分の食べ物を口へと運んだら箸を置き、目を閉じてかみしめる。
そうすることで、流されたり焦ったりすることなく冷静に、口の中に入れた自分に必要な命を体に取り入れていく。

 

「例えば米は、本来ならこれからまさに大地に落ち、芽が出て次の世代へと命をつないでいくべきところを収穫し、いただいているわけです。
長く続いていくはずの命の連鎖を、私たちが食べることで途中で断ち切っている。
その自覚を持って大切にいただくのです。」

 

こうして一つ一つの命を尊重して食べるようになれば、自分の体に本当に必要なもの、そして体の中で起こる変化までも繊細に感じ取れるようになる。
それは、食べている時の味覚や食感だけに気持ちを傾けるのではなく、咀嚼・消化・吸収・中和・排泄の五段階を通して食事なのだという意識を持つこと。

むしろ、取り入れるということよりも、中和や排泄を重視して、体を内側から浄化しようとする。
例えば、こんにゃくを食べる理由は、栄養学的な補給の目的よりも排毒作用を意識してのこと。
調理して口に入れる段階としての食事法はもちろん、排泄や浄化に至るプロセスも大切にしているのだ。

 

一つ一つの食事を丁寧に続けていけば、必要なものはもちろん、不必要なものも見えてくる。

 

「目の中にゴミが入ったら、すぐに違和感を感じますよね。
でもコンタクトをする人は、いつの間にか日常的に目の中に異物を入れても平気になっていく。
異物感さえも慣れると当たり前になってしまうんです。
食べるものも同じ。
今体の中に入れようとしているものが、本当に必要なのかどうか。
口と頭で感じるのではなく、命の感性で食事をすれば分かってくるはずなのです。」

 

ヨガの先生は、食べ物の命、そして自分の命をも最大限に生き抜く感性豊かな食生活を送っていた。

心の在り方が問われる食事法

菜食が基本の食事法で、ポジティブフードと捉えられ、アーサナがしやすく、瞑想にもいいとされている、さらにはマインドにも優しいし、消化にもいい。
いわゆるヨギックフードを食べる食事法。

食材はプラーナ(気)の多い物を選び、マンゴーやカボチャなど国産の有機のものを中心にいただく。
逆にネギ類、ニンニク、ニラ、キノコなどを食べず、刺激があって辛い物や動物性はNG。
ヨガの合宿では、この食事をいただき、体や心の変化を感じる。

 

しかし現在、先生の日常では厳格にこの方法を実践するより、感謝の心や、楽しく食べることに重きをおいている。

先生はこの方法にたどり着くまでに、ヴィーガン(厳格なベジタリアン)やフルタリアンになったり、ローフードの食事法など、数多くの食事法を試してきた。

特に、自身がインドで命に関わる大事故に遭遇した後は、生命に対し敏感になるがゆえに、野菜を切ることもできず、地に落ちたフルーツやナッツだけで過ごす厳格なフルタリアンに。

 

「あの時はこだわりすぎて周りに迷惑をかけてたかも…(笑)。
今ならどんな主義も否定しないし、自分の主義を押し付けたくもないの」

 

先生が今、心がけているのは幸福な心で作ること、いただくこと。

 

「作るものには作った人のエネルギーが入るから、調理の前には瞑想をするの。
穏やかな気持ちで作った食事には、ハッピーが詰まっているのよ。
それから、自分が何を食べているのかきちんと知るべき。
だから私は地元の直売所で野菜を買う。
作っている人に直接ありがとうって言って譲ってもらうの。
そして食べる時には本当に幸せな気持ちでいただく。
これが一番大切。
テレビや新聞を見ながら食べずに、食べ物と会話をしながら、そして一緒に食べる相手と向き合って食べることで、感謝の気持ちを自然と持てるようになるから」

 

幸せな気持ちと感謝、先生の食事のベースは、老若男女、誰にでも可能な食事法。
それはまさしく毎日の心の在り方が問われる食事法だった。

様々な食事法を試す

「今は何もこだわってないんですよ。こだわりがあったりストイックにしてるとカドがある感じだけど、私の今の生活はほのぼのとしています。
ヨガを始める前の学生時代は、お酒やたばこも楽しみましたし、お肉やお魚も食べていました。
その後は時々野菜だけの、フレキシブルベジタリアンになったんです。
ヨガを始めて3年ぐらいたった頃、お肉が欲しくなくなってベジタリアンに。
ヨガを突き詰めて練習の時間を費やすうちに、食事もこだわるようになりました。」

 

その後は、ローフードの食事法を取り入れたり、フルーツのみをいただくフルタリアンも経験。
以前はなんとサプリメントがメインの食生活も…。
ご飯やパンも食べるが、あくまでも栄養はサプリメントで取るというもの。

 

そして現在は…、口に入れる物にはこだわりがなくなり、その代わりプラーナ(気)を主食にいただくプラナタリアンにチェンジ。

自分に合うかな?と思ったものをどんどん取り入れた結果、様々な食事法を試すことにつながったという先生。

 

「生活すべてがヨガの練習だから、その一部として食事の人体実験をしていったって感じですよね。
それを食べることで、ポーズがどう変わるか、意識や感覚をどう感じ取れるか、いつも試していたんです。」

 

人を惹きつける魅力も、そんな先生の真摯な所にあるのだろう。
現在口にするものは、その時いる場所やその日のスケジュールによって変わる。
食べられたら食べる、食べられなければ食べないというスタイル。
基本は昼過ぎから夕方にかけての1日1回の食事。

 

そんな先生に「食事って何ですか?」と聞いてみると、「フィジカル面を保つために必要でしょ。あと、コミュニケーションのツールでもありますよね」と。
プラナタリアンの今は、自然の空気の中においしさを感じ、いつでもどこでも食事(プラーナ)が取れると言う。

「地方に出かけて、その土地の素敵な景色の中で深呼吸をして、いいプラーナを感じれば、それは私にとってリッチな食事。」

プラーナを感じ、自分の中に充満させることが活力になり、生命力に変わっていく。
プラーナをはじめ色々なものを感じ取る、研ぎ澄まされた感覚があってこそ実践される食事法は、ヨガを突き詰めた先生らしい食事法と言えるだろう。

食事でもヨガでもつながりが大切

先生たちの話を聞いていると、自分を取り巻く環境と経験に基づく感覚に合った食のスタイルを実践することが、ナチュラルに暮らすことなのかもしれないと考えさせられる。

 

よりシンプルにという暮らしは、自然のサイクルを守る事にもつながっている。
先生は農業大学時代に、あるフォークシンガーの「自分が今食べているものは、自分のクソからできている」という言葉に衝撃を受け、伊豆の田んぼで米作りをしていた時には、自分の排泄物を肥料にして野菜を育てたこともあった。

現在、排泄物はたい肥にしないが、食事の時に出た生ごみは土に還すことを続けている。

 

「昔からのサイクルを少しでも止めないようにしています。
食べ物に関わらず、今、そのサイクルが欠けているように思います。
作る人と使う人が繋がっていない。
誰の原料で誰が加工し、そしてそれを誰が使っているのか。
その所在を知ることが、物を大切にするポイントになるんじゃないかな。

自分の為にあの人が作ってくれたと分かれば、壊れても修理して使おうとするはず。
今は作り手と使い手の魂が途切れているのでは…。

自分がここにいるのは、大きなつながりの一部であることを生活の中で感じていたいんですよ。

スタジオに来た生徒がヨガをして温かい気持ちになるのも、こういったつながりを心の底で感じるからじゃないかな。
食事でもヨガでも同じ。
もっと人とのつながりを感じていくことが大切だなって思うんです」

 

自分の体の消化の法則

ヨガの先生は、食事のことだけでなく、食べたものの消化と排泄も自分の体を通して研究。

 

「アシュタンガヨガを始めて1年ぐらいは、食べたものをすべて撮影していたんです。
排泄までにかかる時間を記録して、1年半ほどでようやく自分の体の消化の法則がわかった。

僕の場合、野菜とナッツ、微量の主食だと食べてから出るまで6時間。
普通に食事をすると13時間。
練習時間との兼ね合いを考慮すると、12時間がベスト。
食べて12時間で排泄可能とすれば、16時までに食事すれば、
翌朝の4時にトイレに行くことができる計算。

すると、コンディションよく練習に打ち込めて、練習後の体の痛みも出にくい。」

 

練習のスケジュールが決まれば、あとはストレスをためないことがポイントだと言う。

 

「仕事が忙しいと体のサイクルは乱れてくるから、食べ物で少しずつ調整しないとね。
とにかく、自分のペースを保つためには、練習時間を決めることが重要。
ライフスタイルの土台を固めて、それを守ることの大切さをアシュタンガヨガから教わったような気がするんだ。」

忙しく働く人でも、ヨガという軸を一つ持つことで、逆に安定したライフスタイルが過ごせる。

「基本的に僕は人に言われたことを長く続けることが苦手なタイプだったから、
アシュタンガヨガの練習を通して、決まった動作を繰り返し行うことを経験して、
時間の使い方や食生活など生きるコツを教えてもらったことが多いんじゃないかな。
ヨガの練習と言うよりも、練習を軸とした食生活やタイムスケジュール管理が重要。
すると、必然的に色々な面で制御されていく。
それが今となってはよかったと思うね。」

 

アシュタンガヨガは太陽礼拝など決まったポーズを繰り返しする為、
決まりごとが多い物だと感じる人も多いが、
その決まりごとの考え方にもさまざまと先生は言う。

アシュタンガヨガはポーズの順番は決まっていても、
例えばアイアンガーヨガのように腕や足のアライメントを確かめつつポーズを深めていくこととは基本的にない。
ポーズのやり方に制限がないから、自分なりに行えるという意味では自由とも言えると。

 

「アシュタンガヨガは、自分で模索して、内側から経験させる時間をとても大事にしていると思います。
何事も一定期間でいいからきっちりやることが大事で、それは練習も食事も同じ。
そうすれば、ある程度のことが見えてくるんです。
自分に必要だと気付くことで、それが食べたいものに変わることもある。
自分に必要なものの数はそんなにないから、経験して、選別して、無理なく持続する。
それが大切なんじゃないかな。」

 

先生の食生活を通して、自分の体との付き合い方を知ることからヨガが始まると見えてきた…。

 

こだわりをもたない食生活

「昼ごはんの食材を摘みに行きましょう。」

ヨガの先生のそんなひと言から始まった日曜日。

「ここは地元の人だけの秘密の場所です。」

と、連れてきてくれたのは自生のクレソンが育つ豊かな場所。

自宅の庭には野菜や果物を育てていて、今年はメロンも植えたとか。

「オレンジやレモンの木は以前に住んでいた人が植えたものですが、今でも立派に実を付けてくれる。
その果実を鳥が食べに来て、近所の人も取りに来るんです。
でも、代わりに自分のところで採れたものをそっと置いて行ってくれるんですよ(笑)」

と、力の抜けた伊豆ライフを満喫している。

東京やおおさかにスタジオを持ち、ハードなスケジューリングをこなすヨガの先生からは、
想像もできないこの伊豆のライフスタイル。
さぞかし食にもこだわりがあるはず。

「ここに住むようになって、食生活は変わったなぁ。
もともと急な変化が好きなタイプで、ヨガスタジオに通っていた20代前半は断食を含め、
極端なことをしていたよ。20代後半は結婚や会社勤めをして、一般的な食生活を送っていたけど、
33歳でアシュタンガに出合って、しばらく厳格な菜食主義でもあった。
体や精神がクリアになっていく気がしていたんだ。

でも、ヨガの指導や社交を始めてからは、あまりストイックになり過ぎないように意識し始めて、
伊豆に引っ越してからは食べたいものを食べるという感じだね。
今は、大したこだわりもなく、フレッシュなものを食べたいよ。

でも、今朝採ったクレソンなんかは、都内だと値段が高いから無理して買わない。
基本、僕はケチだから(笑)
自分の手の届く範囲でフレッシュなものをいただく。
長く続けたいから、無理はしないようにしているんだ。」

ヨガの先生の食の歴史をうかがったところで、クッキングタイムに。

「作り方は適当でも、オイルは必ず多めに入れる。
僕が便秘症なのもあって、ヨガを始めてからは便通を良くするために
オイルは積極的に取っているよ。

なるべく体の内側を敏感な状態にして練習に臨めるように、
消化にいい食事をいしきしているよ。」

ヨガ的な柔軟さが必要

そんなヨガの先生も動物性のものが欲しくなった時があった。
それは渋谷にヨガスタジオを立ち上げた時のこと。
地方から東京へ来て、さまざまなプレッシャーや不安のある中で、
どんどん前に進まなければいけない状況に立った時、
ここで頑張らなくては!と普通なら食べない動物性のタンパク質をいただくことで、
自分自身を自由にする力を貰ったという。

 

ヨガのインストラクターとして活躍している先生の奥様は食についてこう考える。

 

「自由になりたくてヨガをするのに、これをしちゃダメと、
自分を縛りつけて不自由になっていくことってありませんか?
また、菜食の人は意識が高くて、肉を食べている人はそうではない
というような特別意識を持つことは、ヨガ的ではないとも感じるのです。

私はアシュラムにいた時にラクトベジタリアン状態を経験し、
確かに消化にいい食事がヨガに最適だと体感しました。
アシュラムにいたり、修行をするだけなら、魚やお肉は必要ないと思います。

けれど、社会的な仕事にエネルギーを向ける場合、
多少の動物性タンパク質が必要なんじゃないかな。
自分に必要なエネルギーが、魚など動物性タンパク質の力強さだと思う時は取り入れて、
シンプルさや軽さが必要な時は穀物菜食にする。
そんな柔軟な考えがあってもいいと思うんです。」

 

「日本は島国で、昔から魚を食べて暮らしてきたでしょ。
そんな日本の食生活から完全に魚を排除するのはちょっと不自然ですよね。」