食事でもヨガでもつながりが大切

先生たちの話を聞いていると、自分を取り巻く環境と経験に基づく感覚に合った食のスタイルを実践することが、ナチュラルに暮らすことなのかもしれないと考えさせられる。

 

よりシンプルにという暮らしは、自然のサイクルを守る事にもつながっている。
先生は農業大学時代に、あるフォークシンガーの「自分が今食べているものは、自分のクソからできている」という言葉に衝撃を受け、伊豆の田んぼで米作りをしていた時には、自分の排泄物を肥料にして野菜を育てたこともあった。

現在、排泄物はたい肥にしないが、食事の時に出た生ごみは土に還すことを続けている。

 

「昔からのサイクルを少しでも止めないようにしています。
食べ物に関わらず、今、そのサイクルが欠けているように思います。
作る人と使う人が繋がっていない。
誰の原料で誰が加工し、そしてそれを誰が使っているのか。
その所在を知ることが、物を大切にするポイントになるんじゃないかな。

自分の為にあの人が作ってくれたと分かれば、壊れても修理して使おうとするはず。
今は作り手と使い手の魂が途切れているのでは…。

自分がここにいるのは、大きなつながりの一部であることを生活の中で感じていたいんですよ。

スタジオに来た生徒がヨガをして温かい気持ちになるのも、こういったつながりを心の底で感じるからじゃないかな。
食事でもヨガでも同じ。
もっと人とのつながりを感じていくことが大切だなって思うんです」

 

ヨガ的な柔軟さが必要

そんなヨガの先生も動物性のものが欲しくなった時があった。
それは渋谷にヨガスタジオを立ち上げた時のこと。
地方から東京へ来て、さまざまなプレッシャーや不安のある中で、
どんどん前に進まなければいけない状況に立った時、
ここで頑張らなくては!と普通なら食べない動物性のタンパク質をいただくことで、
自分自身を自由にする力を貰ったという。

 

ヨガのインストラクターとして活躍している先生の奥様は食についてこう考える。

 

「自由になりたくてヨガをするのに、これをしちゃダメと、
自分を縛りつけて不自由になっていくことってありませんか?
また、菜食の人は意識が高くて、肉を食べている人はそうではない
というような特別意識を持つことは、ヨガ的ではないとも感じるのです。

私はアシュラムにいた時にラクトベジタリアン状態を経験し、
確かに消化にいい食事がヨガに最適だと体感しました。
アシュラムにいたり、修行をするだけなら、魚やお肉は必要ないと思います。

けれど、社会的な仕事にエネルギーを向ける場合、
多少の動物性タンパク質が必要なんじゃないかな。
自分に必要なエネルギーが、魚など動物性タンパク質の力強さだと思う時は取り入れて、
シンプルさや軽さが必要な時は穀物菜食にする。
そんな柔軟な考えがあってもいいと思うんです。」

 

「日本は島国で、昔から魚を食べて暮らしてきたでしょ。
そんな日本の食生活から完全に魚を排除するのはちょっと不自然ですよね。」

 

食についての考え方

「幼少から病弱だったせいか、体の限界を試したくて高3の時にサイクリングに出かけたんです。
車でも電車でもなく、自分の力だけで日本一周してみようって。
しかも、シンプルな食べ物でどのくらい走り続けることができるか試したくて、
一週間以上食パンと水だけにしてみたり。
また、留学していた時は、所持品は本当に必要なものだけにして、
フライパンと小さなミルクパン2つだけで自炊していました。
すると、不便なりにいろいろと工夫しようとするんですよね。
例えば、フライパンでトーストしてみたり・・・」

穏やかで優しい印象のヨガの先生は、学生時代の食にまつわる話から
徐々に食についての考え方を話してくれた。

「最初はベジタリアンがいいという理由で菜食に興味があったのではなく、
シンプルにすることが物事の本質を理解させてくれて楽しかったから。
自分の食生活でも、タンパク質は最低限必要だと思っていましたが、
必要なたんぱく質は体が作ってくれるのだと知ってから、
お肉がなくてもいいならやってみよう!」

と思ったのがきっかけなんです。

「食物連鎖の中で、四つ足の動物が一番いろいろなものを食べていますが、
そういう動物がどこでどんなものを食べてきたのかを自分では確かめられない。
分からないところからきた食べ物を疑いもなく口にすることは、
ちょっと乱暴な感じがするし、不安感にもつながります。
結果、お肉よりも野菜の方がまだ安心して食べられました。
特に自分が作った物や生産者の分かるものを食べることは、
心の安堵感や落ち着きのためにも大切だと思います。」